2004年12月28日 (火) 22:55 | 編集

朝7時、何事もなく永定に到着。
さっそうと福建省の大地に降り立つ。
朝靄の中、ワラワラと群がってくる人影。
そう。
中国名物・客引きバイク。
彼らは平気でボッタクる。
そしてボッタクられる俺。
まだまだウブな旅人やったんで!
土楼を見に行くなら長距離バス停や!
早よ行かなバス出てまうで!
という言葉に乗せられ、ろくに値切り交渉もしないまま(5元)、バイクに飛び乗る。
あっという間にバス停。
おいおい!近すぎる、近すぎる!
でも、ホンマに土楼行きバスは出発間際やったんで、結果オーライ。
飛び乗る。
土楼に着くと飯屋+旅行案内をしてる家が。
とりあえず腹ごしらえしてると、日本人旅行者2人に出会う。
こんな寒い時にこんなトコ旅してるんは、俺とこの2人ぐらい。
この2人もシブイね!
で、この2人は中国語力0で旅をしてる。
スゴイ!
中国のいなかなんて、英語しゃべれる人ゼロに近いもんな。
で、俺はとりあえず午前中に南コースの土楼をバイクで周る。
50元。
では、土楼写真をどうぞ!

土楼の外。

土楼の中。

今も土楼で生活する人たち。
お年寄りと女子供しか出会わなかった。

土楼の中庭でおぎょーぎ良くしてる子供達。
カワイイ。
アモイに行こかなーと思ってたんで、アモイ行きバス3時半に合わせて近場の土楼を見学。
土楼はやっぱり圧巻だ。
山ん中に土楼がたたずむ姿は、まさしく「城」である。
ここに住む客家(はっか)の人たちというのは、結構悲しい歴史を持つ。
もともと北方に住んでいた彼らは非常に商売がうまく、その商才を疎まれ、他の漢民族に迫害され、どんどん南下して、ついには福建・広東にまで追い込まれた歴史を持つ。
移住先でも元々その地にいた人と折り合いが悪い事が多く、外敵が多かった。
そこで作られたのが、この土楼である。
外見からわかるよう、大きな防御壁に覆われ、非常に防御力が高かった事がわかる。
また1階部分には外に向けた窓はない。
これも防御的戦略からである。
そして土楼の上部には攻めてきた外的を攻撃するための穴があけてあり、そこから石や熱湯などを落としたという。
ここまで、ガイドをつとめてくれたバイクタクシーのおっさんのお話し。
福建省南部から広東省中東部にわたる客家の多い地域には、形こそ異なれど、防御目的の建築物がたくさん残っている。
後に最後の絶対行きたいスポットとなる広東省・開平のディアオ楼と呼ばれる建物も同じく客家の防御用の建築物である。
・・・ただの野良・旅人である俺にゃ実感できない歴史の象徴でもある土楼が目の前にそびえていた。
どの土楼もその寂れた建物に歴史を感じさせる。
中には半分外壁まで崩れたような土楼もある。
・・・かと思いきや、完全に見世物小屋状態の土楼も。
おっさんの話やと、2008年に世界文化遺産入りがほぼ確定らしいんで、行くならその前がええかなと。
世界文化遺産なんかなった日には、ウザイ土産物屋はできるは、ぼったくり入場料はとられるは、金持ち客がわんさかきてウザくなく事確定やから・・・。
さて、土楼見物を終えて、さっきの日本人カップルさんらと現地のおっちゃんの家に招待されてお茶してたら、トラブル発生。
おっちゃん達、行きのバスが来たら教えてやるっつってたのに、聞きに行ったらすでに最終バスは出発後。
おっさんらは、とりあえず家の知り合いの宿やってる土楼に1泊していきなよ・・・って、お前ら絶対グルやろ!!
頭来ておっさんらを怒鳴ってたら、日本人カップルさん達はちょっと引き気味やった・・・。
お前らの思い通りになってたまるか!
と、いうわけで、とりあえず永定に戻り、安宿(1泊20元=300円)で一泊。
人は信じてはいけません。
特に笑顔の人は信じてはいけません。
さっそうと福建省の大地に降り立つ。
朝靄の中、ワラワラと群がってくる人影。
そう。
中国名物・客引きバイク。
彼らは平気でボッタクる。
そしてボッタクられる俺。
まだまだウブな旅人やったんで!
土楼を見に行くなら長距離バス停や!
早よ行かなバス出てまうで!
という言葉に乗せられ、ろくに値切り交渉もしないまま(5元)、バイクに飛び乗る。
あっという間にバス停。
おいおい!近すぎる、近すぎる!
でも、ホンマに土楼行きバスは出発間際やったんで、結果オーライ。
飛び乗る。
土楼に着くと飯屋+旅行案内をしてる家が。
とりあえず腹ごしらえしてると、日本人旅行者2人に出会う。
こんな寒い時にこんなトコ旅してるんは、俺とこの2人ぐらい。
この2人もシブイね!
で、この2人は中国語力0で旅をしてる。
スゴイ!
中国のいなかなんて、英語しゃべれる人ゼロに近いもんな。
で、俺はとりあえず午前中に南コースの土楼をバイクで周る。
50元。
では、土楼写真をどうぞ!

土楼の外。

土楼の中。

今も土楼で生活する人たち。
お年寄りと女子供しか出会わなかった。

土楼の中庭でおぎょーぎ良くしてる子供達。
カワイイ。
アモイに行こかなーと思ってたんで、アモイ行きバス3時半に合わせて近場の土楼を見学。
土楼はやっぱり圧巻だ。
山ん中に土楼がたたずむ姿は、まさしく「城」である。
ここに住む客家(はっか)の人たちというのは、結構悲しい歴史を持つ。
もともと北方に住んでいた彼らは非常に商売がうまく、その商才を疎まれ、他の漢民族に迫害され、どんどん南下して、ついには福建・広東にまで追い込まれた歴史を持つ。
移住先でも元々その地にいた人と折り合いが悪い事が多く、外敵が多かった。
そこで作られたのが、この土楼である。
外見からわかるよう、大きな防御壁に覆われ、非常に防御力が高かった事がわかる。
また1階部分には外に向けた窓はない。
これも防御的戦略からである。
そして土楼の上部には攻めてきた外的を攻撃するための穴があけてあり、そこから石や熱湯などを落としたという。
ここまで、ガイドをつとめてくれたバイクタクシーのおっさんのお話し。
福建省南部から広東省中東部にわたる客家の多い地域には、形こそ異なれど、防御目的の建築物がたくさん残っている。
後に最後の絶対行きたいスポットとなる広東省・開平のディアオ楼と呼ばれる建物も同じく客家の防御用の建築物である。
・・・ただの野良・旅人である俺にゃ実感できない歴史の象徴でもある土楼が目の前にそびえていた。
どの土楼もその寂れた建物に歴史を感じさせる。
中には半分外壁まで崩れたような土楼もある。
・・・かと思いきや、完全に見世物小屋状態の土楼も。
おっさんの話やと、2008年に世界文化遺産入りがほぼ確定らしいんで、行くならその前がええかなと。
世界文化遺産なんかなった日には、ウザイ土産物屋はできるは、ぼったくり入場料はとられるは、金持ち客がわんさかきてウザくなく事確定やから・・・。
さて、土楼見物を終えて、さっきの日本人カップルさんらと現地のおっちゃんの家に招待されてお茶してたら、トラブル発生。
おっちゃん達、行きのバスが来たら教えてやるっつってたのに、聞きに行ったらすでに最終バスは出発後。
おっさんらは、とりあえず家の知り合いの宿やってる土楼に1泊していきなよ・・・って、お前ら絶対グルやろ!!
頭来ておっさんらを怒鳴ってたら、日本人カップルさん達はちょっと引き気味やった・・・。
お前らの思い通りになってたまるか!
と、いうわけで、とりあえず永定に戻り、安宿(1泊20元=300円)で一泊。
人は信じてはいけません。
特に笑顔の人は信じてはいけません。
この記事へのコメント
こんな以前から世界遺産に『内定』してたんですね・・・。今、永定土楼の旅行記を書いているところです。
2008/07/25(金) 17:42 | URL | ニセ中 #mQop/nM.[編集]



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